‘English’ Sensibility in Sense and Sensibility
Tomomi Minamoto
Abstract
Tomomi Minamoto
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本論文は、18 世紀から19 世紀初期英国における感受性文化の中に、オースティンの『分別 と多感』を位置づける試みである。まずオースティンの従姉イライザが、オースティンにとっ て「ヨーロッパ大陸」とともに「演劇」を表象する存在であったことを指摘し、次に『分別と 多感』における二人のヒロインを分析して、エリナは自己の内面を外面に出さないのに対し、 マリアンは大げさに身体を用いて感情を表現するため、後者は演劇、特に当代の悲劇女優サラ・ シドンズの姿を想起させること、シドンズもマリアンもともに身体表現が特徴的だが、前者は 身体表現を完全に自己制御しているのに対して、後者は自己の身体を制御できないまま表出し てしまっていることに注目する。本論文では次に同時代の代表的な小説、フランスのスタール 夫人の小説『コリンナ』に着目し、大陸女性コリンナと英国人ルシールの感情表現の差異に着 目しながら、『コリンナ』のパロディー小説『イングランドのコリンナ』がその構図をさらに露 骨な形で表していることを論じる。最後に再び演劇界に目を向け、当時の演劇が聴覚から視覚 へより重点を置く潮流にあったのに対し、オースティンは台詞という言語的・聴覚的要素を重 視し、小説『分別と多感』の中で、身体表現という視覚的要素だけに頼らず、制御された言語表 現を通して読者だけに自己の内面を打ち明けることによって、「英国的」感受性をもったヒロイ ンを提示していることを論じる。
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本論文は、18 世紀から19 世紀初期英国における感受性文化の中に、オースティンの『分別 と多感』を位置づける試みである。まずオースティンの従姉イライザが、オースティンにとっ て「ヨーロッパ大陸」とともに「演劇」を表象する存在であったことを指摘し、次に『分別と 多感』における二人のヒロインを分析して、エリナは自己の内面を外面に出さないのに対し、 マリアンは大げさに身体を用いて感情を表現するため、後者は演劇、特に当代の悲劇女優サラ・ シドンズの姿を想起させること、シドンズもマリアンもともに身体表現が特徴的だが、前者は 身体表現を完全に自己制御しているのに対して、後者は自己の身体を制御できないまま表出し てしまっていることに注目する。本論文では次に同時代の代表的な小説、フランスのスタール 夫人の小説『コリンナ』に着目し、大陸女性コリンナと英国人ルシールの感情表現の差異に着 目しながら、『コリンナ』のパロディー小説『イングランドのコリンナ』がその構図をさらに露 骨な形で表していることを論じる。最後に再び演劇界に目を向け、当時の演劇が聴覚から視覚 へより重点を置く潮流にあったのに対し、オースティンは台詞という言語的・聴覚的要素を重 視し、小説『分別と多感』の中で、身体表現という視覚的要素だけに頼らず、制御された言語表 現を通して読者だけに自己の内面を打ち明けることによって、「英国的」感受性をもったヒロイ ンを提示していることを論じる。
Key concepts: Sensibility, Sense (electronics), Aesthetics, Psychology, Art, Literature, Engineering, Electrical engineering